Teuflische Geschichten: Der Gockel an der Kirchenmauer in Wennigsen japanisch

Kloster Wennigsen
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Die Gockelgeschichte an der KIrchenmauer von Wennigsen findet immer mehr auch international Interesse. Viele Besucher von Wennigsen besuchen, neben den bekannten Sehenswürdigkeiten von Wennigen, auch den Gockel an der Kirchenmauer und verlangen neuerdings auch nach dem "Gockel-Bier". Ein Bier speziell für Wennigsen, mit der Gockelgeschichte. Also ein Bier mit Geschichte.
Damit auch unsere japanischen Gäste die Gockelgeschichte lesen können, folgt die Geschichte in: Japanisch

Übersetzt von Romi Bednarz (Wennigsen)

Der Gockel an der Kirchenmauer = japanisch

教会の壁の雄鳥

Wennigsen の修道院の南側では、砂岩のブロックに「雄鳥」に見える変色が見られます。何世紀にも亘ってこれを見た人々は「雄鳥はどうやって砂岩に侵入したのか」と不思議がってきたものです。
勿論、この疑問を簡単に説明する事も出来るのです。これはDeister砂岩によく見られる変色であり、約1500年頃の修道院教会の拡張工事にその石が使用されただけ、というものです。

しかし、これはそれほど簡単な説明に終わるものではありません。この雄鳥は「悪魔の仕業」なのです!!

このWennigsenの教会の壁にいる雄鳥について、伝説があるのです。

Wennigsen修道院は12世紀に設立されました。最初の文書は1224年のものです。
それ以前は、ロマネスク様式で建てられた、塔のある小さな教会でしかありませんでした。

Wennigsen修道院は13世紀と14世紀にかけて、寄付、相続、買収を通じて豊かになりました。
更に「黒いマドンナ」崇拝と盛んに行われた免罪符販売によって、ウェールズの国境を遥かに越えて広く知られる存在となっていったのです。
教会、修道院そして神を畏れる人々がいるところでは、悪魔は遠いものではありません。

悪魔は教会に潜入し、まず修道女そして最終的には修道院全体が世俗的になる様に導いたのです。これは15世紀半ばに起こった事です。

修道女は何度も注意を受け、そして遂にはWelfen大公ヴィルヘルム一世と彼の領地の修道院長ブッシュが聖アウグスティヌスの規律を修道女に訓示する為にWennigsenまでやって来る事態となったのです。
悪魔はこれに対して為す術もなく、傍観するしかありませんでした。そして、復讐を誓ったのです。
悪魔は教会とWennigsen修道院が敬虔な人々の集う場所となる事を何としても避ける手立てをとろうとしたのです。
1520年頃のこと、当時の権威がWennigsen教会を南側に拡張する事を決めた時、悪魔はチャンス到来、と捉えたのです。
石工を装っての建設の妨害、つまり夜の間に壁を壊し続けたのです。
石工マイスターはすぐに、何かがおかしい、と気付きました。
が、朝日が出る前にこんな災いをもたらすやつは誰なのか?
様子を伺ってみたものの、そういう時に限って全く何も起こらなかったのです。
しかしある日、太陽が出てきた瞬間に豚番の赤い雄鳥が大声で鳴き、小屋で夜を明かしたある石工が目覚めて建設現場に向かってそこで見たものは、その場にいた同僚の一目瞭然の悪魔の姿だったのです。ツノと小さな尻尾がその正体を物語っており、更に硫黄の臭いまでしたのです。(注 :悪魔は硫黄の臭いがする、と言われています)・・・建設妨害の現場が見つかったのです。
悪魔は逃げようとした時に赤い雄鳥を捕らえ、「この雄鳥のせいだ」という言葉とともに前日に完成した壁に投げつけたのです。その力が並外れたものだったので、今日でも打ち付けられた雄鳥の姿が壁に残ったのです。
Wennigsen教会の南側の拡張工事は、その後何の支障も無く完成しました。

赤い雄鳥が死んでしまった、と思うのは正しくありません。今日でも何かが起こる時には、雄鳥は鳴いて修道院とWennigsenの人々に災禍を警告するのです。
言い伝えでは、1626年3月に雄鳥は「30年戦争でティリーの軍隊がWennigsenのすぐ傍まで来ている」時にけたたましく鳴き、修道女とWennigsenの大半の農民が地下通路を通って隣町Lemmie(レミエ)を通り抜けてハノーバーに逃げることが出来たといいます。当時の女子大修道院長ハイムバーグは、この出来事を報告書にして伝えているのです。

教会の塔の中にあるトンネルの入口は現在入ることは出来ません。しかし、1905-1909年頃に修道院の改修工事の際に鉱夫が地下トンネルの中を数百メートル先まで辿っていった事があり、地下道はレミエの方向に向かっていた事が報告されました。この事はハノーバーへの脱出ルートを証明することだと言えます。

Wennigsenの教会の壁にある赤い雄鳥の痕跡は、あらゆる戦禍を免れました。今でもはっきりと認識でき、Wennigsenの「守護聖人」とさえ言えるかも知れません。
かつて「黒いマドンナ」の為に人々はWennigsenを訪れたものですが、今日では教会の壁の「赤い雄鳥」探しの為に人々はWennigsenを訪れるのです。

Winfried Gehrke(2019年3月)

Bürgerreporter:in:

Winfried Gehrke aus Wennigsen

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